小野妹子 日出づる処の天使 小野妹子 日出づる処の天使

小野妹子のニュース

 小野妹子は歴史上の遠い過去の人物ですので、ニュースが多く出ることはないのですが、できる限りの情報を集めて「小野妹子.org」にて紹介いたします。小野妹子及び遣隋使・遣唐使に関連するニュースを集めています。

木津屋の旅 〜妹子隊がゆく

住吉大社本殿

 小野妹子の流れをくむ木津屋において、第一回の「木津屋の旅 〜妹子隊がゆく」が催されました。第一回の旅は、小野妹子らの遣隋使が御加護を頂いた、大阪の住吉大社にお参りいたしました。そして、住吉の大神様の御前で、「木津屋の旅 〜妹子隊がゆく」を盛り立てて、末永く続けていけることへの感謝の意を表わしました。あわせて、妹子隊の方々の「人生の旅」にも感謝の意を表わしました。

 遣隋使や遣唐使の使者は、船出の前に住吉大社に立ち寄り、旅の安全を祈願いたしました。妹子隊の参加者は、いにしえから連綿と続く住吉大社に参ることで、小野妹子が生きた飛鳥時代に思いを馳せることができたのではないでしょうか。またその日は、小野妹子や聖徳太子様が行き来した「竹内街道」(たけのうちかいどう)にも足を伸ばしました。


住吉大社反橋

「木津屋の旅 〜妹子隊がゆく」は、春秋に予定されていて、参加者を募っています。詳しくは「木津屋」までお問合せ下さい。

第一回「木津屋の旅 〜妹子隊がゆく」 平成二十六年十一月三日 月曜日 文化の日
「木津屋」の紹介ページ 〜 木津屋の旅 〜妹子隊がゆく ( kizuya.jp )

2015.1.5


小野妹子のお墓

テレビ出演 毎日放送の番組「ちちんぷいぷい」で、本年敷設1400年の竹内街道を散策する企画があり、「小野妹子.org」管理人の木津屋治郎兵衛もロケに参加いたしました。撮影場所は、竹内街道(たけのうちかいどう)のそばにある小野妹子の墓前にて行われました。木津屋治郎兵衛は小野妹子の末裔として、人物像や時代背景、当家の歴史などのコメントをいたしました。

放送は関西 9月19日木曜日 お昼2:55〜5:50 「昔の人は偉かった」のコーナー

2013.9.16


小野妹子と神道

科長神社

 小野妹子の命日と伝わるその日、華道家元池坊による「道祖小野妹子墓前祭」が行われました。池坊は華道家元としての顔もございますが、仏教寺院頂法寺の住職でもございます。聖徳太子は廃仏派の物部守屋を討ちましたが、太子の軍の中に小野妹子の子の姿もございました。当然小野氏一族は聖徳太子と同じ側に立つ仏教擁護派だったのでしょう。歴史の中で、物部氏が神道派で聖徳太子が仏教派のように語られることもございます。しかし、聖徳太子は仏教を守られはしましたが、日本古来の神様を排除するような事はございませんでした。言うならば、「日本の神様良し、インドの神様もまた良し。」というところでしょうか。
玉串奉納 さて、先の「道祖小野妹子墓前祭」でございますが、仏教寺院であるところの頂法寺の小野妹子が、神道である科長神社により祀られるという、とても素晴らしい儀式でございます。また、そのお祀りに際し、小野妹子等の遣隋使とその後の遣唐使が日本に伝えた雅楽が、墓前で奉納され、とても神妙なる趣きでございます。そして、その時その場所を見守る小野妹子の子孫の姿。きっと聖徳太子様もお喜び頂いてることでしょう。

平成22年6月30日 写真上:科長神社 写真右:科長神社宮司
「道祖小野妹子墓前祭」については、過去の記事も御覧下さい。

2010.7.21


遣唐使 円仁

 遣唐使 円仁の遺物が発見されました。円仁(えんにん 慈覚太子)は最澄の弟子で、9年間遣唐使として活躍致しました。見つかったのは名前の刻まれた石板で、場所は中国河南省登封市の寺院「法王寺」です。遣唐使西安で見つかった井真成(せいしんせい)の墓誌に続き、とても重要な発見です。遣隋使の研究にも役立つことと思います。

 小野妹子は遣隋使ですので、遣唐使とは異なります。しかし当時の日本にとって、隋か唐かということはあまり重要視されていなかったと思われます。それは当時の文献の、中国の国名の表記に誤りが見られるからです。

2010.7.11

道祖小野妹子墓前祭

6月30日、道祖小野妹子墓前祭(どうそおののいもこぼぜんさい)

小野妹子の墓雅楽

献華式科長神社の宮司様

 今年も、京都の華道家元池坊により、「平成21年度 道祖小野妹子墓前祭」が執り行われました。道祖小野妹子墓前祭は、池坊に伝わる小野妹子の命日をお祀りするものでございます。小野妹子廟は科長神社の横にあり、この墓前祭は、科長神社の協力の下、執り行われております。

 前日からの雨がしとしとしておりましたが、科長神社の御祭神で、風の神様であられる級長津彦命(しながつひこのみこと)と級長津姫命(しながつひめのみこと)の御神徳により、雨はどこかに吹き飛ばされ、式典中はぴたっと雨も止んでおりました。

 雅楽を取り入れた式典は、終始、荘厳な趣きで、小野妹子が生きた飛鳥時代に心馳せるひと時でございました。

2009.7.6

小野妹子.org 協力出版物

 11月10日発行の「歴史の闇ファイル2」(笹倉出版社発行)に、小野妹子の記事が掲載されております。「歴史人物の実像」というコンセプトで執筆されており、歴史愛好家には大変興味深い内容になっております。第一回目の遣隋使や、紛失したとされている随よりの国書に関しての考察がなされております。木津屋治郎兵衛提供の写真も掲載されております。
 小野妹子に限らず、日本史、世界史のお好きな方には、秋の夜長、心躍らせる楽しい時間を御提供出来る内容になっております。

2008.10.23

国書紛失

 9月4日にテレビ放送された、朝日放送の「ビーバップハイヒール」(関西ローカル)で、小野妹子の遣隋使が取上げられました。「小野妹子.org」も、ほんの少し制作協力致しました。番組内で小野妹子大使が隋からの国書を紛失したとありました。これは、「日本書記」に記述があり、一般的な定説になっております。しかし、実際はどうであったかというと、小野妹子大使が、国書の芳しくない内容から日中友好の危機を感じ、故意に処分したとも考えられています。 遣隋使の大使としての過失か、日本国の危機を救った臨機応変な外交手腕か、全く正反対な見解です。今後の研究課題と言えましょう。

2008.9.7

遣隋使・遣唐使と舞楽・雅楽

 小野妹子の遣隋使にまつわる、舞楽・雅楽(ぶがく・ががく)のお話です。
 8月4日、大阪の四天王寺さんで、「篝の舞楽」(かがりのぶがく)と銘打った舞楽会が奉納されました。第54回ということで、とても長い歴史のある行事です。ここで演奏されている雅楽は、遣隋使・遣唐使によって、中国から伝えられた「唐楽」(とうがく)が、原型になったとされています。
 小野妹子等の遣隋使とその後の遣唐使は、形のある物資と、形のない芸能、宗教、学問等、あらゆるものを日本に伝えました。舞楽・雅楽は、まずは聖徳太子の四天王寺に伝わり、そこで発展し、そこから全国に伝播していきました。

四天王寺 篝の舞楽

 場所:四天王寺伽藍内 講堂 前庭
 演奏:天王寺楽所 雅亮会
 司会進行:雅亮会理事長 小野功龍

 2008.8.11

平成20年度 道祖小野妹子墓前祭

 6月30日、恒例になっている道祖小野妹子墓前祭(どうそおののいもこぼぜんさい)が執り行われました。道祖とは、華道家元池坊(かどういえもといけのぼう)が小野妹子を始祖としているもので、この式典も池坊によって執り行われております。また、大正時代に行われた、小野妹子廟(おののいもこびょう)の大修築も池坊によるものです。
 この日は、四十五世家元の池坊専永宗匠(そうしょう)、次期家元の池坊由紀さん、それと全国の先生方が見えられ、普段は静かな所ですが、例年同様、とても華やかな一日になりました。
 昨年は、遣隋使1400年ということで、紫陽花(あじさい)の植樹が行われました。一年経った今年、その成長が楽しみでありましたが、期待通りの成長で、来年、再来年と楽しみです。

献華式

紫陽花の植樹

写真:道祖小野妹子墓前祭 (左)献華式。右端は、科長神社宮司。(右)昨年、次期家元等が植樹した紫陽花の花。

大阪府南河内郡太子町山田 科長神社(しながじんじゃ)横 小野妹子廟(小野妹子のお墓)


 2008.7.6

平成19年度 道祖小野妹子墓前祭


遣隋使1400年記念

 本年は、遣隋使派遣1400年の節目の年で、日本と中国の各地で、記念行事が行われています。

小野妹子.org 協力掲載誌
 小野妹子.org の協力掲載誌が出版されております。「世界思想2月号(世界思想社)」にて、小野妹子および「四天王寺ワッソ」が特集されております。ご興味のある方はご覧になって下さい。

四天王寺ワッソ

 11月4日、大阪の難波宮跡(なにわのみやあと)で、恒例の四天王寺ワッソが開催されました。四天王寺は古代の国際交流の拠点でした。特に、朝鮮半島、中国等との交流が盛んでした。その古代の国際交流を再現したのが「四天王寺ワッソ」です。
 当時の衣装を再現した人が巡行する中、聖徳太子、小野妹子の姿も見られました。一時期、中断されていたお祭りですが、今後の更なる発展が期待されます。

いもこ祭り

小野道風神社 11月4日、滋賀県大津市小野の小野道風神社周辺地域にて、 「いもこ祭り」が開催されました。この「いもこ祭り」は、地元の商工会や自治会等、小野妹子を愛する人々の協力により実現しました。
 この地域は小野一族の出身地で、小野道風神社他、小野篁神社(おののたかむらじんじゃ)、小野神社と、ゆかりの史跡が多くあり、小野妹子公園も整備されています。

写真:小野道風神社



遣隋使派遣1400年記念行事

 10月28日、中国の西安にて、(社)日中友好協会他主催の「遣隋使1400年記念行事」が開催されました。当時の遣隋使船が復元制作されており、この日お披露目されました。船上には小野妹子像も再現されました。遣隋使の守護神だった大阪・住吉大社の関係者他、総勢600人の日本人が参加しました。

日中交流1400年記念国際シンポジウム

住吉大社 5月8日〜9日、大阪の住吉大社にて、日中交流1400年記念国際 シンポジウムが行われました。
 遣隋使は、出帆の前に、大阪住吉大社の墨之江津で安全祈願をしたと伝えられています。住吉大社は「海の神」で、古代からのとても歴史の古い神社です。また、墨之江津は、日本最古の国際港とされています。

写真:住吉大社


 2007.11.9


 11月7日〜10日、Yahoo!ニュースにて、「小野妹子.org 日出づる処の天使」が取上げられました。「遣隋使派遣から1400年」にまつわる日中友好の動きが、注目されているようです。

道祖小野妹子墓前祭

 小野妹子の墓は、現在、河内と近江の二つの説があります。河内の方のお墓のお話です。

 去る6月30日、大阪府南河内郡太子町の小野妹子廟(おののいもこびょう)において、道祖小野妹子墓前祭が執り行われました。この6月30日は、華道家元池坊において、小野妹子の命日と伝えられており、恒例の行事となっております。

科長神社 宮司

小野妹子墓前祭

小野妹子の墓


写真:道祖小野妹子墓前祭

 2007.7.7


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